日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

ヴォルフガング・ティルマンス展|Freischwimmer


初台の東京オペラシティ:アートギャラリーに『ヴォルフガング・ティルマンス展|Freischwimmer 』を見に行く。この人の写真には、特に窓辺での静物系の写真が顕著なのだが、「日常の瞬間に潜む形而上的永遠」を捉えたかのような、自然光+植物等の緑や赤+白い壁や家具の組み合わせによる不思議な寂静感が切り取られている。また、「窓辺での静物系の写真」以外でも、風景写真を撮影したフィルムにエフェクトというか、多分特殊な薬品を垂らして偶発的かつ抽象的な光彩造形を重ねたような「存在の根源を揺さぶるような非日常的な景色」を提示するものもある。

何れの写真からも感じられたのが、普段は退落し忘却している見る側の「存在」を、柔らかく喚起させるという性質。それは、「苦しみ」や「不安」というネガティブな感情から「存在(自己の有限性:死)」を喚起させるのではなく、何かもっと柔らかい「陽だまり」のような穏やかな感情から「存在の稀有さ」をゆるやかに喚起させるような、そんな感じのモノなのだ。非常に卑近で拙い例えをするなら、ビルの谷間からふと見上げた空にとても美しい夕陽を見つけて「あぁ、こんな美しい夕陽があるのなら生きていてもいいかもなぁ」みたいに思うような、そんな自己の有限性を暖かく・ポジティブに感じられるような、そんな感じに近いのかもしれない。

http://www.operacity.jp/ag/exh55/index.html


また、ついでに久々に NADiff に立ち寄り、サウンドアート系のCDと書物を物色したところ、藤枝守氏の著書が出ていたので、即座に購入。藤枝守氏というと、植物に電極を取り付け、植物の発するパルスを音に変換することで、植物の声に聴き入る作品が有名だが、その基本は「聴く」ということの本質を探究することにある。この書物は、ケージ*1やオリヴェロス等の「聴く」ことの探求者の実践を紹介しつつ、藤枝氏の過去の取り組みを解説するという集大成的な内容。

響きの生態系―ディープ・リスニングのために (Art edge)

響きの生態系―ディープ・リスニングのために (Art edge)

 

*1:有名な4分33秒は、似非知識人どものお陰でとかく「偶然性やアナーキーさ」ばかりに焦点があたりがちだが、その本質は聴衆が無音を共有することから、周囲の音を注意深く「聴く」という行為・体験を喚起することにある、という氏の指摘は非常に鋭いと思う