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日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

離島振興法と隠岐移住計画

ennui


隠岐の島前*1西ノ島*2、知不里島、中の島 に行って来たのですが*3、島前で一番大きな港町である菱浦ですら町中に空家というか、廃屋が多いことに驚いた。で、知不里島の旅館ロビーにあった雑誌「島へ」を何気なく読んでいて知ったのですが、現在の離島*4の人口流出と高齢化状況はかなり深刻なようです。

具体的には、昭和35年当時は離島:923,062人 全国:94,301,623人であったのに対し、平成12年には 離島:472,312人 (対前5年比 -7.2%) 全国:126,925,843人(対前5年比 +1.1%)と、40年で離島人口はほぼ半減している。そうした状況に対して、日本政府は昭和28年より「離島振興法」を制定、運用している。

離島は、厳しい自然的条件(環海性、隔絶性、狭小性等)により、本土との格差が大きく、多くの面で後進性を有していることから、この後進性を除去し、格差を是正することによって住民生活の安全・向上を図ることを目的として、昭和28年に議員立法により離島振興法が制定されました。
この法律は10年間の限時法として制定され、その後も10年毎に改正・延長が行われています。現在の法律は第154通常国会において、離島振興法の一部を改正する法律(法律第90号)が成立したことをうけ(平成14年7月12日)、平成15年4月に施行、平成25年3月までの期限とされています。

今回の改正により、目的条項に、我が国の領域、排他的経済水域等の保全海洋資源の利用、自然環境の保全等に重要な役割を担っていることが明記されるとともに、地方分権の流れの中で地域における創意工夫を生かしつつ、その自立的発展を促進するため、今まで国で作成していた離島振興計画を、国は離島振興基本方針を定めるにとどめ、都道府県が市町村の作成した離島振興計画の案に基づき作成することとなっております。

国土交通省都市・地域整備局離島振興課 http://www.mlit.go.jp/crd/chirit/


上記にあるように「我が国の領域、排他的経済水域等の保全」のためには、日本海や太平洋上の離島が無人島になってしまうのは問題となることもあり、従来は政府が手厚い財政援助を行ってきた。しかし、いくら国家資金を投入しても、人口流出は止まず、また手厚い財政支援にも国庫的にはもう限界が見えている(国庫の状況に関連し、地域の自立を促すための政策が最近目立つ)。

この根本的な問題は、従来の援助が道路等の土木事業予算として投入されていたことに起因する。つまり、島内の基本インフラである幹線道路が既に整備完了した状況でさらに予算消化するべく、不要な橋、トンネル等の土木事業に予算が投下されているのだが、いくらインフラを整備しても、それを機に新たな産業>雇用が創出されなければ、特に若年層の人口流出は止まらないからである。

こうした反省を踏まえ、代表的な離島である隠岐では現在下記のような振興計画が進められている
http://www.pref.shimane.jp/section/risokaigi/


上記のポイントは、経済的な自立のため「新たな産業の創出」により、Iターン+Uターンで若年層を島に呼び込み、再活性化を図るということと、新たな産業の創出のために自然・歴史・文化等の「地域資源」を活用することにあるようだ。

離島の地理的制約(=輸送コスト)を考えると、工場等の誘致による製造業で雇用創出というのは無理があるし、そもそも海外の方が全てのコストが安い(そういう意味で人月商売なIT産業における開発拠点という展開にも無理がある)、だからといって、観光一本では年間通しての採算が見通せない+都市からの観光客のニーズの流動・変化*5に対応する投資コストも嵩む。


こういう状況を整理してみると、なかなかにチャレンジングな状況ではないか、と個人的には思うのだ。ということで、『隠岐移住計画』をココに発動してみたいと思うのであった(補足:まず隠岐(島前)の島としての魅力が素晴らしいというのが、まず第一にあり、それに加え現在のチャレンジングな状況がさらに魅力的ということ)。





【追記】

隠岐移住計画は、当方の本来的なライフワークである「退屈」についてじっくり考える環境が欲しいから、というのも大きな理由でもあります。

つまり、待ち時間の手持ち無沙汰だとか何だとかの「状況がもたらす退屈」ではなく、退屈消費産業に支配された都市では在り得ない、より本質的な「退屈」の中に身をおく必要性を感じているから。

西洋で人々に「世界の意味」を付与していた「神が死に」、個人主義ニヒリズムが登場し、従来の神の位置に「文明」「イデオロギー」「消費と気晴らし」という「物語」が、個人の世界内存在(=退落の土壌)を支える所与の何かとして、次々に現れては消え、そして段階的にその「物語の規模」が極小化し、より高度に「個々人の孤独が消費に置換され」てゆく現在を鑑みるに、「意味が消え」そして「剥き出しの存在=時間=不安・死」と対峙することを迫る「退屈」と向き合うことの重要性をひしひしと感じる。

まぁ、こういうこと考えてるから「自分探し野郎」扱いされるのかもしれんが、でも嬉々として孤独を消費に供出して日々を過ごし、挙句ふとしたきっかけで「意味の病」に憑かれて「新興宗教」等に身を挺するよりは、楽しいと思うけどな・・・・
 

*1:隠岐については http://www.e-oki.net/

*2:map:x132.9719y36.1073

*3:旅の様子はコレ http://blog.livedoor.jp/test_tone_40hz/

*4:日本は6,852の島嶼により構成され、このうち本州、北海道、九州、四国、沖縄本島を除く6,847島が離島とされる

*5:「団体から個人」へ「体験型」等のオルタナティブツーリング