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日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

最近、CD購入しても驚きが少ないとお嘆きの私に

ennui


妄想なのか現実なのかがもはや不分明な「91年リバイバル」状況ですが、当時の記憶を反芻する中で、そいえばと最近実感として感じることは、レコ/CD屋に行っても「ワクワク感」をあまり感じなくなったこと、そして購入したレコ/CDを再生する時の「ワクワク感」もやはりなくなったこと、があげられます。

「ワクワク感」が消失した原因は、35年にわたり多種多様に膨大な音楽を摂取し続けたことによる、飽和感もあるかもしれません。或いは「のんびりできる時間が減少した」ことに起因するのか、音楽の聴き方がせっかちになった、こともあるかもしれません。実際、ココ暫くレコードでは聴いてないし、音楽摂取機器としては、圧倒的にiPodが増えているのは事実です。


また、レコ/CDの買い方も、これまた「のんびりできる時間が減少した」ことに起因するのか、「ハズレ」を引かないように、ネットで先に試聴してからとか、ネット上で先にレビュー見つけてからとか、合理的に買うことが多くなっているのも事実です。実際、最近は「ジャケ買い」とか全然してないし、手間ヒマかかる「特売100円レコ漁り」も全然してません。あと店先でレコを試聴しながらレコ屋の人と話しながら、いろいろな盤を教えてもらって買うことも全然しなくなっている。思えば、Hi-Fiレコードが渋谷消防署前にあった頃は、大江田さんや阿部さん等にいろいろ教えてもらって、いくつもの私的名盤との出会いがあったのだよなぁ、と反芻してしまいました。


と、ダラダラと書き連ねてしまいましたがこの「ワクワク感の喪失」は、多種多様に膨大な音楽を摂取し続けたことで、未知の領域が激減したことの影響は多分に大きいとは思います。が、それ以上に、音楽摂取方法の合理化の影響で、感覚という土壌が痩せてきているのも確かなのではないか、と思うのです。

で、いきなり結論に入りますが「ワクワク感」を取り戻すためには、CDではなく未開拓レコを漁ること、そして合理性を捨てて、駄盤を摂取することとを厭わない、時間の無駄を許容できる状況に自分を戻すことに、あるものと思われます。やっぱり、そこそこ美味しいものばかり常時摂取していては、駄目なのデスな。ということで、感覚を戻すためには、自分のフィルターに引っ掛からない:不味い物の摂取を含む「非合理性」が実はとても大事なのですという、至極当たり前の結論に至っただけ、なのでした。


ところで、これだけ情報量が圧倒的に多く、またその流通速度も絶望的に速い昨今の都会では、その情報群から個人の趣向に即した情報を合理的に摂取できるようにする、各種の「フィルタリング」技術の開発に余念がないのであります。この「フィルタリング」技術とは例えば、ログ分析による類似アイテム/類似ユーザを推薦する「レコメンデーションエンジン」とか、コミュニティの中での注目情報を迅速に整理/分類/抽出する wisdom of crowdsな「はてなブックマーク」とかのIT技術がこれに相当します。

けれど、情報=間接体験の荒波の狭間で漂っていると、こうした「フィルタリングの基準」となるべき「個人の趣向」なんて、そもそも妄想なのかもしれない、とふと感じてしまうのです。で、結局人々は実は個性化を目指しつつ、結果的に「特定のミニカリスマの劣化コピー*1」として並列化してしまう「妄想としての個性」*2に過ぎないのかも、なんてな「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」的な物言いを、最後にちょろっとしてみたり・・・
 

*1:フリッパーズの二人の超劣化コピーとしての僕とかね

*2:ログ分析によるレコメンド技術も、wisdom of crowdsな技術も、手早く人々を並列化させるための技術でしかないのだ