日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

Tim Buckley / Blue Afternoon


ところでボクの中で「アシッドフォーク」とは、灼熱の夏:真ン中の気怠い午後に、窓開けてノンクーラーで、暑さで脳をやられながら「どろ〜ん」と弛緩した空気感に身も心も委ね、「ゆらゆら」&「とろとろ」と聴き浸るものなのです。
だがしか〜し、このトコあまりにも寒い日々が続くので、音暖房として「アシッドフォーク」を活用したくなるココロ餅になるボクなのです。ということで早速、ボクにとっての「アシッドフォーク」の代名詞である Tim Buckley の「Blue Afternoon」を引っ張り出して、聴き浸る今朝なのであります(予言:今朝も遅刻だなきっと・・・)。


このアルバム、本当にジャケどおりの幽玄的なサウンドで、とにかく「もわぁ〜」とした空気感がすばらしい奇跡の名盤なのですが、「音暖房」としても完璧であることが今朝、判明しました>ジンワリと柔らかーく暖かいです、もうホントに(涙)です。だってさ、ボクの部屋>北向きで1階なので非常に寒いンだもん。しかも、部屋の大半がレコとか本に占拠されてるから、コタツとかヌクヌク系の暖房器具を置くスペースがナイの余ね(本題:脱線)

(本題:復線)で、サウンド的には、アコギとブラシで構成される「アーシー」でソリッドな調性とリズムがアルバム通して一定のテンポで続き、そこに時折、浮遊感溢れるウッドベースビブラフォン、或いは「ロジカルな主張」ではなく「曖昧な気分」を伝える「弛緩しきったギターソロ」が加わることで「スペーシー」な方向へと融和昇華するという按配なのです。そして、そうしたサウンドに寄り添うように Tim Buckley の「ビター」で「マイルド」な歌声が「ウォーム」に被さる具合なのですが、その基底にある気分は、「センセーショナルな激情」とか「ウエットで粘ついた私怨/怨念」とかとは対極にある、悠然とした孤独/諦念というか、カラカラに干乾びた独白感なのです。とにかく、全曲最高です、これぞ「アシッドフォーク」って感じでトロケマス、意識が行方不明になります。


ところで、ここで突拍子もない独白をしておくと、ボクは自分が「火葬される時に、棺桶に一緒に入れて欲しい一枚」は、と尋ねられたら迷うことなくこのアルバムを挙げることでしょう。って、ホントにそれぐらい大好きな一枚なのです余(嗚呼、朝っぱらからワタシは何を書いているのだろう・・・)