日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

桜の季節にミュージックコンクレート


土曜日は午前中に「77 MILLION" an Audio Visual Installation by BRIAN ENO」、昼間は代々木公園の秘密のお気に入りポイントで春のアンビエンスに囲まれながらお昼寝、夜には「リュック・フェラーリ--ある抽象的リアリストの肖像」を観て聴いた、そんな硬質な週末だったのでした。

まず、イーノのインスタレーションは「まるで80年代後半の六本木WAVEに迷い込んだ」かのような錯覚に囚われました、という感想が多分全てではないか、と思われるほどに「今っぽさ」よりも「懐かしさ」が先行する作品でした。音は8チャンネルで「イーノらしい」気持ちよいアンビエンスがアチコチから溢れ出し、映像も抽象絵画のような按配で心地よかったのですが、何故か上述のようにまるで「タイムスリップ」したかのような余韻が残ったのがオモシロかったのでした。

また、「ある抽象的リアリストの肖像」は、昨年お亡くなりになったフランス現代音楽:ミュージック・コンクレートの巨匠リュック・フェラーリの晩年の日常生活の記録映像だったのですが、内容はともかくも、巨匠の御自宅の庭の木々に大量に吊り下げられたCD達が、静寂なパリ郊外の風景のアンビエンスに囲まれつつ、クルクル&キラキラしている様がツボにきて、思わずニヤニヤしてしまいました。あと、具象音から抽象音を創出し、そのマテリアルを構造とリズムにより構築してゆく、巨匠独自の作曲の模様が記録されていて、ドキュメンタリーとして非常に興味深い按配だった、のです。がしかし、できれんば、もう少し巨匠の生の声で、その思想をもっと聞きたかった、そんな記録映画でした。

にしても、街を覆う春のアンビエンスは、儚くも柔らかく日常と非日常を攪拌させ、混乱させ、僕らを惑わすのであった、などと意味不明な言葉を書き並べたくなる、そんな按配なのでした。