日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

LIFE - fluid, invisible, inaudible ... 体験記


今週末から始まったインスタレーション「LIFE - fluid, invisible, inaudible ...」を体験しに、ICCに行ってきました。音素材が坂本龍一、映像素材が高谷史郎ということだったのですが、個人的には池田亮司的な現代音楽の極北的なモノを期待して足を運んだのですが、結論から言うと、期待以上に面白かったです。

まず、このインスタレーションICCの紹介文を引用すると

「《LIFE _ fluid, invisible, inaudible ...》において音と映像は,新たに加えられたものも含め,それぞれ約30と20のカテゴリーに分けられ,複数のファイルとしてコンピュータのHD内に収められています.全体をランダムに制御するプログラミングによって,これらファイルからランダムに音と映像が呼び出されることで,常に異なる様相が空間にもたらされます.」



上記画像はICCからのリンクで、出典は山口芸術情報センター(YCAM


とのことで、起承転結が明確でエンターテイメントな昨今のわかりやすいコンテンツと比すると、「盛り上がりどころ」だったり、或いは「オチ」というか「立ち去るタイミング」が非常にワカリニクいうえに、さらに会場の状況をセンサーが感知し「突然ブラックアウト」とか「各所でバラバラに明滅」とか様々なバリエーションが展開されるという按配で、いやもう「三秒で泣けるパブロフの犬みたいな方々」にとっては、まさに無間地獄のような世界なのであります。

一緒に行った相方も「終わり時がわからん」というリアクションで困惑していましたが、当方は逆に「いつまでもダラダラしていたい」という感じで、ぼんやり音と映像のランダムな明滅を、或いはその空間を俯瞰しつつ漂っておりました。

意識の定め方も、9つあるモニタの一つにピンポイントで定めるもよし、全てを俯瞰して全体を眺めるもよし、と千差万別、多種多様なのですが、会場を眺めていると、前者のピンポイント集中型の方が多かったのですが、これが逆に後者を選んだ僕の個人的な性癖というか嗜好が顕著になって面白かったです。


とまぁ、どうでもいい感想をダラダラしていますが、でも結局これもiPod的というか、RPG的というか「所定の世界観=シナリオ or 素材の組み合わせ」の中での、箱庭的小宇宙の自家中毒的消費/存在様態とも言えなくもない訳で、キチガイキチガイの手術台の上での突拍子もない邂逅(手術台の上でコウモリ傘とミシンが出会っちゃう的な話し)や、ダイナミズムなんて期待できる訳もないのでした。


相方もなんとなく、この辺りの「閉塞感」がしっくりこなかったのでウーンって感じで消化不良を起こしていましたが、やっぱり既定の内容を追体験する「コンテンツの摂取」だけでは「イカントモし難い何か」に対する希求/欲求というか、希望/期待みたいなものが、どうにもこうにもあるのかなぁと考え込んでしまう次第*1

でも、実際の人生そのものがアクシデントの連続で、そこでのストレスの連続が箱庭的快楽な「コンテンツの摂取」を促している訳でもあるので、欲深いものだなぁと、吾が身を含め省みる連休明けの一日なのでありました。

*1:或いは先週金曜日に「デス・プルーフinグラインドハウス」という、快楽原則まっしぐらな映画を見た後だったのも影響有かと思いますが