日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

ライン録音について思った様々


昨日のエントリーで、「アルバムはライン録音」とのソニック師匠のインタビュー記事に言及したけど、そういえば思い出したのが、Wrkという音響実験集団の公開実験(ライブ?)なのでした。僕は物理とか数学とかはマルでダメな人なので、表象の現象を感覚的にしか理解できなかったのだけど、そこでの実験のひとつに、音声信号を光の信号(ライトの明滅だったような)に変換し、さらに光の信号を再度音声信号に変換して鳴らすという実験があった。当時は、純粋に音が光に、光が音に変換されたことに対する現象的な驚きと、様々な波動間での相互変換が可能なことに対してウブな驚きを示すだけだった。

しかし、先のソニック師匠の発言に触れて「あぁ」と記憶が蘇ったのが、相互変換の結果である実際の最終アウトプット(ここではスピーカーの膜振動からの音)は、原音と比べて圧倒的にロス/変質が大きかったことだった。


弦の振動>電気信号(ピックアップ/アンプ)>膜の振動(スピーカー)>空気振動>鼓膜振動という経路の弦の電子楽器は別として、シンセ等の電子音を鳴らす電子楽器は「最終的にリスナーがスピーカーで再生するまで」波動の変換は行われないのであるとすると、確かに電気信号を直接録音>再生した方が中間の変換ロスが少なく、電子音本来の音色/音力を極力損なうことなく、リスナーに届けることが可能なのだなぁと、当たり前のことだけど「はっ」とした次第なのでありました。

脱線だけど、音力で検索したら「音力発電」なんてのがあるのをみつけた(コレ本当か?)。んが、街頭の騒音や声高な主張を振りまく人々の騒音/喧噪を電力に還元できるのであれば、まぁそれはそれで我慢もできるかもなぁとか、リスニングルームで永久機関(音鳴らす>電気になる>その電気でまた音鳴らす>また電気になる、以下繰り返し・・・)も実現できたりしたら面白いなぁとか。