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日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

2008年の一枚 Domotic / Ask for Tiger

music

2008年は「未知のアーティスト」や「新人アーティスト」の「新譜」を中心に聴き倒れた一年でした。そうした新譜には「なかなかに刺激的な作品」に遭遇することも多く、やはりアンテナは錆びないように、日々メンテナンスしとかないと烏賊ンですなぁとか、思う自分が居た訳です。とはいえ、やはり10代〜20代半ばまでの世界中の&未知のジャンルを新譜旧譜かまわず手当り次第に聴きまくっていたころの「未知の音楽に出会った新鮮な喜び」や、90年代半ばに味わった「既成概念を破る、突然変異的な音楽に遭遇した同時代的なオドロキとヨロコビ」は、やはりもう二度と体験できない類いの感動なのだなぁ、ということを強く再認識する結果にもなった一年なのでありました(イマが突然変異的な音楽が産まれにくい飽和状態の一歩手前な過渡期的状況なのか、単にボクが年をとって感性が錆びてしまった、ということなのか・・・)。

そんな中で、可能性の萌芽を強く感じた作品が、下記のアルバム、だったのです。これは、2005年の旧譜なのですが、「ミライの音楽」を予見している内容であった、というか。散々、新譜を聴きまくったこの一年で、一番「アタラシイ」と感じたし、また「スバラシイ」と感じた一枚だったのです。いや、2008年に聴かれることを想定したタイムカプセルというか、イマ聴くことにきっと必然があったのだろうと、そうボクは思ったのでした。

アスク・フォー・タイガー

アスク・フォー・タイガー

この人の作品は一枚目の時も「音楽のミライ」というか「ミライの音楽」を聴いている、ようなそんな「未知感」というか異次元のオドロキを味わったのですが(一枚目はイマでも自分王国の国宝/重文指定)、アルバムとしては二枚目に相当する本作は、そのミライ感と旧来の音楽(近代以前の西洋室内楽や宗教歌の伝統)が不可分に混ざり合い溶け合った、これまた異次元の音楽だったのです(いや異次元というより、本当に自然にミライとカコがこの人の上で「音として奇跡的に邂逅した」というべきか、或は伝統の延長線上に奇跡的に産まれた新種というか、とにかく自然なんです)。

いや、過去の音楽や、世界中の音楽を組み合わせた「編集的な音楽」というのは、もはや当たり前の風景になってしまっていて、配列や組み合わせの妙とかだけでは「圧倒的な個性」や「突然変異的な新規性」を捻出できるステージにはない、のがイマなのだと思います。また、グリッチやクリック、ドローンやアトモスフェリックな持続音、ミュージックコンクレートやエレクトロ・アコースティック的な具象素材の音響的加工、そこに基盤としてのビートが時間軸を構成して、っていうこの人の作品が放り込まれたジャンルであるエレクトロニカ的な音楽も、とっくに飽和から解体に向かっている。或は、08年に吹き荒れた「エレクトロ〜」的な音楽の乱造粗造軽薄短小具合というか。

そんな状況を予見してなのか、この人は2005年時点で、こんなスバラシイ予言を作品としてリリースしていた、ということが本当に嬉しくて、また、こういう作品に出会えることや、こういう作品の良さがわかること等々、阿呆みたいに雑多に多様な音楽をひたすら摂取すること数十年、音楽オタク(マニア)でよかったなぁ、と本当に思ったのでありました。

ということで、今後も音楽オタクを継続して行こうと、ココロに誓う今日この頃なのでありました。