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日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

新譜聴き倒れ伍拾:第8回 AKRON/FAMILY の巻

Set Em Wild Set Em Free

Set Em Wild Set Em Free

音楽を阿呆みたいに聴き漁っていると、時に「好き/別に/嫌い」や「良い/普通/悪い」というラベル貼りができない、或いは「○○みたいな音」とか「○○に似ている」とかいう類型化を拒むような、そんな音盤に出会うことがある。で、昨年の聴き倒れ第一回でとりあげた AKRON/FAMILY はまさしくその典型例みたいなもので、上掲の彼らの新譜は、もうソレコソ何度も聴いて、グルグル言葉を模索しているだけど、未だに自分の中で未消化というか、表現する言葉を持てないままでいる。ハイデガーが「言葉は存在の家」って書き、詩人が言葉の守人であると書いた、そんな気持ちがわかるような気がする四十路間近の昼下がり(テキトウです)。

で、ひとつ「なんとなくな手掛かり」があるとすると、ソレはイエスにおけるスティーブ・ハウのギターの存在なのでスた。いや、特に脳内ライブラリを反芻再生した際に顕著な例が「Going For The One」なんだけど、この曲突如カットインするようにカントリー&ブルーグラス調なスティール・ギターが前触れもなくホニョホワ鳴りだしたり、そこにアンダーソンの神声スクリームが被さって、荘厳壮麗なバロックな調べに変拍子も混じりつつという、文字ズらを追うとまさしく混乱混迷を「極めた」一曲、というかアルバムのオープニングナンバーなんだけど、どうみても要素レベルではバラバラなそれらが、不思議な有機体として唯一無二な超越者として聳え立つその在り様*1が、なんとなく AKRON/FAMILY を聴いたときのモワモワに近しい、ようなソウデないような。あー、でもなんか違うぞ、あー、うーん、もう(絶句)・・・

追記

あ、上記のような異種交配/異種格闘って、例えばヒップホップ的というか、ベック的というかなサンプリングベースのアプローチでも成立するのだけど、それとは違うなぁというのが、モヤモヤの主要因としてあって。なんか誇大妄想狂的にいえば「記号性」対「身体性」というか、生身の人間の生身の演奏の組み合わせだからこその「何か」が、きっとキーなんだろうなぁ、と。だから、70年代プログレの、しかも異種交配具合が甚だしいこの時期のイエスの音を脳裏に浮かべたのかもしれないなぁ、とかなんだとか。

*1:特にこの曲の後半の展開>カタルシスは、類似する音楽をボクは知らない