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日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

サブカルへの雑感

memory

ボクがまだ「中年」ではなかったその昔、目下サブカルと呼ばれているモノや情報の消費様態/目的は

  • 繋がるためではなく、閉じるため
  • 群れるためではなく、分け隔てるため

にあったような気がする。当然ながら、学校でまったく同じような趣味の人間なんていないから、基本的に自分だけの閉じた世界で「悪の秘密結社がコツコツと赤いテルテル坊主で世界征服を企む」ようなチンマリした感じで趣味の世界を展開しつつ、ココロの底ではバーカバーカと呟きながら、時々「小学生みたいな奇行」を行いガス抜きをしながら、平静を装って「地味な普通の人」っぽく過ごしていたことをふと思い出した。

ところが、90年代中盤からネットがそうした孤島を繋ぎ、孤島は繋がることの喜びをかみしめ、そのようにしてサブカルネットワークがワラワラと繋がっていった帰結として、細分化は際限なく進み、予め欲望が具現化された親切なタコツボが群生し、そこに予め孤島を経験していない人々がやってきて、ワラワラとソレラのドレカに瞬間刹那的なヤドカリのようにはまり込み、そのタコツボ的な所与の前提(説明不要でいきなり専門用語全開)で、タコツボ語で会話をするもんだから、そりゃ周囲を取り巻く「異次元人」との会話を行うための言語化能力が磨かれないのは当然だよなぁ、とか思ったりもする。

そして、そんな「細分化された欲望先回り型のタコツボ」と「綻びた錦の御旗が掲げる陳腐な常套句」の狭間で、80/90年代のスノッブで中規模な趣味ワールドは骨抜きになってしまったのではないかと。STUDIO VOICE 休刊の報を聞いて、そんなことをふと思った、のでした。

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