日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

2014年の音盤探索模様を振り返る

いやはや、今年は 1月11日 に更新したきり、コチラの更新が放置の果ての「空き家」状態、2003年の11月から開始したこのブログにおいて過去ありえないレベルの最低の更新状況(年間1本)…グヌヌと 1日に32本 も更新した 2008年12月26日の狂気 はいったいナンだったのでしょうか…

さりとて、流石に毎年続けている気がする「今年のベストアルバム」なエントリーまでスルーするのもココロがイタムので、ものすごく久しぶりに「はてな記法」を思い出しながらこのエントリーを綴る45歳のオッサンな訳です。

ということで、蛇足でキーストロークの無駄撃ちするのもアレなので早速本題なのでゴザイマス。はい、今年購入した2014年発売/輸入の新譜CDを数えてみたら、写真のような感じでちょうど40枚(米国/欧州:10枚、南米:15枚、日本:15枚)、これに相方が購入したCD 33枚を足すと我が家の総計が 73枚。ちなみに、昨年 2013年12月31日の様子 はこんな感じ、とまた無駄なキーストロークをカタカタしつつ、サクッと書き連ねてみると…

【ベスト】

【次点】

Days With Uncertainty

Days With Uncertainty

【次点】

Sabado

Sabado

いや、ベストは OGRE YOU ASSHOLE(日本)以外にありえないぐらいなんだけど、この作品は2011年の「homely」からの三部作で、2014年に縛り付ける必要もないほどに図抜けていると感じているのだけど、逆に言えばその「図抜け具合」であったり「2014年に縛られない感じ」は、2014年という年が「イロイロと聴いたものの、他にグッとくる新譜が少なかった」ことも影響しているようにも思える。
そして、なんというか、(Pitchforkなどで取り上げられている新譜を指しての) OGRE YOU ASSHOLE 出戸氏の下記の言葉にはなんかスゴく頷きたくなるような印象ではある…

『 60~70年代から今の時代のものを幅広く聴くと、今の音楽はほとんど同じものに聞こえてしまうことが多くて。もし今のものしか聴いていなかったらその差異も分かると思うんですけどね。』
インディーズ・イシュー Vol.71 PP.39 より引用

自分の中では、英米界隈の新譜音源に関して「新しい」と感じることは「ここ暫く限りなくゼロ」に近づいているというか敢えて悪態つくと「演ってる自分達は過去音源新鮮す、焼き直し楽しいす、なのかもだけれども、こっちは1ミリも新鮮じゃないンだよ」だし、00年代半ばから注目してきたアルゼンチンやブラジル界隈の新しい動きも「安定と無難、或いは未消化の靄の中」でコチラも煮え切らないことこの上ないし、日本のインディはイロイロ聴いたけど「イントロのギターの音に期待した数秒後、どうにもボーカルがねぇ」ということで「またダメか」とため息をつくことが、本当に多かった。

素直な焼き直しが素直に出てくる背景には「プロデュース不在=仲間内だけでササッと録音/制作して音源を発表できる」ことの悪影響もあるのかもと、そのまさに対極にある「(石原さん&中村さんを含んだ)多世代混成なチーム」が時間をかけてジックリ創り出したオウガの作品を聴いていて思ったりもする(他方で「ナマで踊ろう」にイマひとつグッとこないのは、ジックリ創り出され&完成された個人ワークの隙の無さというか枷とか枠を感じてしまったりする、からなのかもしれない)。

あと脱線だけど、日本のインディなバンドとかのボーカルの感じへの嫌悪感は何由来なんだろうと考えていたら、ポラリスやオウガあたりの劣化コピー感が漂うのと、そういう歌い方で隠したつもりの変なエゴが異臭を放っていて辛いっす、だからなんだろうなぁと…

ポラリスは(ラブライフの頃は小山田唱法フォロワー感が否めなかったけど)、90年後半のフィッシュマンズのあの情念というか生霊感漂うボーカルの重さを解き放って「日常のふとした瞬間や手仕事のしっかり感のような確かさを慈しむクウネル感」にシフトした感じは「発明」だったと思っているので、そこからの「天然生活」的な劣化コピーな音楽にはやはり1ミリもココロが動かないのである。
そして、オウガのボーカルの「歌詞が耳に残らない感じ(狙ってやっているらしい)」もすごく新しいと感じていたので、歌い方だけ劣化コピーして「変なエゴが異臭を放つ歌詞」を乗せられても、やはり1ミリもココロが動かないのである。

と散々悪態をついているけど、次点にあげた the fin.(日本)からは実はこの先の時代に向けた「新しさ」というか「期待感」をグググと感じているのである。歌詞が英語であるとか云々とかではなく、意図的に隙間を作り「音が消えてゆく瞬間とスキマまでも楽曲の要素」としているような音作りのなかで、ボーカルをそのパーツとして考えている節もあり、このあたりがオウガの新作の「ミニマム・メロウ」と通底する感覚を感じつつ、オウガのそれがプロデューサー&エンジニアの二人の大人の60~80年代な濃密な音楽体験&知識&歴史的機材群との化学反応由来だとして、 fin. のソレはナニか「グローバルかつニッチな同時代感覚」由来のような気がしていて、そこにもう一枚次点としてあげた cicero(ブラジル)の醸し出す「ミニマム・メロウ」が絡んでくるというか…

いや、今年は「新譜100枚聴き倒れ」してないし、ブログ更新が今年二本目のオッサンが「偉そうなこと書き殴る」のも如何なものかと自分に異議申立てしたい有り様ではあるのだけど、まぁ正直「2014年の新譜は過渡期的な閉塞感や未消化なモヤモヤ感」に覆われた年だったということで、そこに息吹き始めている「新しい芽」に気付けるぐらいの耳を持った自分でいたいものだ、と来年の精進をココロに誓うのであります(はてなの更新は、来年は本当に年末の1本だけになったりしそうだけれども…)。