日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

2023年はカセットでアンビエントばかり聴いていた

今年はなんだか「強いメロディ」や「主張するビート」がどうにもシックリこなくて、気がつくとアンビエントばかり聴いていた。アンビエント、といっても Pete Namlook な方向(海の底のようなクラーク/ヒエビエ感)ではなく、今年回顧展があった吉村弘な方向(地平線の向こうでゆらぐ蜃気楼のような距離感/現実感)と言うか…

そして、なぜかカセットのヒスノイズがそんな音楽と親和性が高くって、特に「グリグリ暑い/気怠い休日」には、カセットでこうしたアンビエントを聴きながら微睡んでいることが多かったかもしれない。

カセットといえば、今年の前半にカセットデッキが壊れてしまって、新たに We Are Rewind のプレイヤー購入に至るまで、アチコチ調べて気が付いたのだけど、どうやら「オートリバース」は ”失われた技術” になっていたらしい(なので現行品には搭載されていない)。その結果「両面垂れ流しリスニング」という怠惰な態度は粛清され、テープが片面の終端まで行くとプレイヤーが「ガチッ」と叫んで、ヨダレを垂らして惰眠している私を「ンガッ」と現実に引き戻す。で、テープをひっくり返しにヨロヨロと起き上がるのだけど、この「ヨダレ2ンガッ」のテープループが何故だか心地よくて、今年のリスニング記録としてここに書き残しておくことにする。

今年よく浸っていたアルバム(配信含む)

Ki Oni の作品はどれも「音像の距離感」が絶妙な塩梅というか、近すぎず/強すぎずで、少し離れたところを付かず離れずで漂っている感じが心地よいのだけど、2023年のこの新作はそれを特に感じたので、繰り返し浸っていたような気がする。

Lorena Álvarez & Alejandro Palacios の本作は、トライアングルの内側で「意識がどの頂点にも引っ張られずに、中心付近で調和しつつ浮遊する」ような感じというか、即興演奏を行なっている演者の感覚を「お裾分け」してもらう感じが心地よくて、これも繰り返し浸っていた。

Rachika Nayar の本作は、定常的に好物な「ギターループ」系ではあるのだけど、18の断片が積み重なった1曲に相当する体験として、トータルの満足度が高い。それは、断片の継ぎ目で「もう少し/もう充分」のどちらでもない感じがあり、また先のモチーフが変奏されてゆく連続性もあるから、流れにスルッと意識を委ねることができる故なのかも。