日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

宇宙空間での退屈

日野啓三の「光」という小説に、事故により宇宙空間に独り放り出された後、この天地左右もなく、言葉すら届かない、何一つヨルベナキ状況にて、「光は闇、闇は光」ともいうべき体験、即ち存在を無化するような圧倒的な光(太陽光)の中で存在の根源が揺さぶられる体験により、「逆行性健忘症」になるという宇宙飛行士(主人公)が登場する。
で、いきなり本質的な問題となるのだが、宇宙空間を漂う中で見える情景や心境を表現する言葉が、現在の言語体系にどれだけ含まれてあるのだろうか。また、その体験と光景は、例えば比喩や暗喩を用いることで果たして表現可能なのであろうか。そして、このように言葉が届かない、何一つ言明できない状況の中で、人間は自意識を維持する、ひいては「退屈を感じる」ことなどできるのだろうか。

完全なる闇であれば、人間の想像力はそこに様々な幻影や妄想を反映することができるし、古来人々は闇の中から様々ものに名前を与え、その「存在」を抽出しすることで、無の闇に松明を灯してきた。そしてそうした言葉という「松明」により、猛々しい圧倒的な自然(含む無意識)から、精神存在(自意識)を守ってきたし、そこで打ち破れた場合には圧倒的な無明の他者(自然)に耐え切れなくなった自意識が崩壊する「狂気」が待っていたのだと思う。

しかし、宇宙空間は必ずしも「闇」だけではなく、圧倒的な「光」に焼かれるような状況もありうるに相違無い。果たして人間の言語は、かような「圧倒的な光:完全なる空白」の中で、幻影や妄想を投げかける、即ち言葉を投入し何者かを捉えてそこに「自意識の手がかりとなる闇」を創出することができるのだろうか。

などということを、宇宙空間での退屈という状況を想像しながら、僕は考えてしまうのであった。


テーマ「退屈」連作の目次は下記
http://d.hatena.ne.jp/cliche/20031126