日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

明日から隠岐>砂丘


本当は昨年の自転車旅行の続きで城之崎>出雲ツアーをしようと考えていたのだが、累積疲労によりライフゲージがマイナス状態で、○で回復する気配が見えない。これは、危うし自分、危うし愛車と判断。ということで、旅のお供に『退屈の小さな哲学』を持参しつつ、隠岐鳥取砂丘でダラダラすることに路線変更。

で、旅の途中でこちらでボチボチとモブログするかも&しないかも、ですが、そのまま退屈のシモベとして、言語中枢が野生化して更新されなくなる、でしょう、恐らく&多分
http://blog.livedoor.jp/test_tone_40hz/

ところで何故に、隠岐かと言えばそこが「退屈の極北の流刑地」だった場所だから。何故に、砂丘かと言えばそこが「存在を無化する圧倒的」な光景だから。特に砂丘については、随分昔に読んだ、日野啓三の「砂丘が動くように」の下記の一節が強烈に脳裏に焼き憑いているから。当方もそろそろ相克されるような対象になりつつあるのだ、ということをジタバタせずに認識しつつ、静かに慌てずに、何歳まで続けられるか判らないけど、私的な「退屈に関する存在様態」の問いを進めて行く具合でいきたいなぁ。

ひとりの人間、ひとつの世代、それぞれの時代には、きっとひとつの意識の段階が定められているんだ。努力して意識の範囲を広げることはできるとしても、一段上の意識に登ることはできないことになっているらしい。

『砂丘が動くように』 日野啓三講談社文芸文庫


退屈の小さな哲学 (集英社新書)

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