日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

複製芸術とマスメディアと消費社会

仕事始めの1月9日以降、彼方此方から怒涛のように多種多様なissueが多層多元的に錯綜し、我が身はヘロヘロな昨今、そんな「目覚めたら見知らぬ芝生」的な情況の息抜きに、お仕事的移動の合間@電車にて、「タイアップの歌謡史 (新書y)」という本を読んでおりました。

この本ですが、タイトルからは「歌謡曲の歴史本」かと思われたのですが、冒頭から順を追って読み進めてゆくと、実は「19世紀的な近代(産業社会)から消費社会への展開と併せて発展してきた、日本のマスメディアと複製芸術(コンテンツ)の形成/普及過程を歌謡曲という題材から紐解いていく」そんな興味深い内容の書物であったのでした。

当たり前のことですが、レコード等の複製技術が存在せず、またテレビやラジオなどの映像/音声系マスメディアも普及していないその昔、人々が音楽に接することができる機会は、演奏会やコンサート会場での直接体験に限定されていました。つまり同時に多数の人間が時空間を越えて、それらの楽曲を体験することができなかったのが、19世紀的な世界だったのです。

本書では、マスメディア(より多くの人間に同一の複製情報を間接体験させる)も複製装置も存在しない「口承伝承」のみに頼った「はやり唄」の世界から、レコードという複製技術が誕生し、それに伴い生成可能となった複製品(コンテンツとしての歌謡曲)を扱うレコード産業の形成、そして当該産業が、それら複製品を「同時により多くの人間に接触させ、販売する」ために、産業社会から消費社会への変遷及び技術革新に併せて次々登場してきた映画>ラジオ>テレビ等々のマスメディアを、その時々で接触点として有効に利用しながら普及させてゆく様を描いています。

それ故、本書は「歌謡史」という体裁で若者から老人まで各々が生きた時代を回顧気分で楽しめる読みやすさを提供しつつ、実際には消費社会論、メディア論的なテーマを秘めた書物であると感じたのでした。

タイアップの歌謡史 (新書y)

タイアップの歌謡史 (新書y)

その意味で、1942年の新聞統合を契機に全国で約700あった地方紙が、各県1紙&全国紙に集約されマスメディア化してゆく過程や、テレビやラジオ放送局が一極集中/集約的に形成されてゆく過程を歴史的に紐解きつつ、そうしたメディアの存在様態の問題点を分析し、多極分散型のメディア形成を試論する下記の書物と併せて読むと、より本書は面白く読めるのかも、なんて偉そうなことを補足しつつ(脱兎の如く脱出)