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日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

田中亜矢 LIVE @下北沢lete


朝


先週末、田中亜矢さんのライブを聴きに「下北沢lete」に訪れました。前々々回のエントリーで言及した朝生愛さん同様、田中亜矢さんの音楽も通常のSSWとは明らかに違う「何か」で構成/形成されていて、個人的に00年代の愛聴版となっているのです。

で、このところ「音楽摂取は複製芸術であるCDよりも、可能であればライブで」をモットーとしているので、ワザワザ下北沢に足を運んだ、という次第なのでありました。

ちなみに会場であるleteは、特段格別な仕掛けがある訳でもないのに、不思議なアンビエンスというか、音が伝達する空間/空気に独特の「モワーっとしたアシッド感」があり、なんというか「移転前のHi-Fiレコード」のような不思議な音響空間なのでありました。やはり世の中には「音が鳴る」場所というのが稀にあって、そこはどんな再生装置を用いても再現できないような「空間自体が再生装置の一部」とでも言うべき場所であり、そこで体験する音楽は、エリック・ドルフィーのラストデイトに収められた名言「When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again.」が示すように、音楽という芸術は時間と空間の隙間に搾り出された一瞬の残滓を記憶により反芻することで統合性を保持されるが、それはもはや搾り出された音楽そのものではない、という類の刹那性を殊更に意識せざるを得ない、という按配なのでありました。


で、前置きが長くなりましたが田中亜矢さんのライブなのです。ところで、田中亜矢さんの音楽は、キャロル・キングのような米国女性SSWと比較されたりしますが(僕はどちらかというと英国フィメール・フォークの方が近しい印象を受けたりするのですが)、でもそのような伝統的なSSW/Folkとは明らかに違う、独特のコード感というか、メロディの抑揚があって、それが時代を超越した「懐かしいようでいて、でも新しい」という不思議な印象を与えている、そんな音楽なのです。基本はアコギ一本で、しかもアルペジオメイン(コードストロークは殆ど無い)という辺りが、Red House Painters辺りのスローコアを想起させるというのも「懐かしいようでいて、でも新しい」感覚の原因なのかもしれません。

と、既にダラダラと長くて内容が薄い状態なので、ここらでダラ書きを止めますが、ライブは上記の会場特性と演奏内容がジャストでフィットしていて、とても至福なヒトトキなのでありました(この至福感をうまく言語化するのが難しいので降参・・・)