日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

吹けよ風、叫べよ嵐 のような雷雨の中で

3×3×3

3×3×3

「吹けよ風、叫べよ嵐」のような雷雨の中で、こんな音盤を聴く昨晩。この作品に関しては、「マスタリング/ミキシングに関する既成概念をぶっ壊す」エポックメイキングな音盤だったのだなぁと、改めて思った次第。最近のインタビューで石原さんが「試聴機のヘッドホンで聴く人のド肝を抜くために、1曲目の冒頭をありえない音量にした」的な発言をしてたけど、これはきっとフェイクなのかも。というのも、この作品のサウンドデザインは「奇をテラテラして云々」ではなく、あくまでも徹頭徹尾「鳴っている音」を最高の「解釈」で封じ込めることに主眼がおかれているから、なのでした(アシッドフォークの名盤、例えばティム・バックレイの「ブルー・アフタヌーン」がそうなように)。

で、当時も「ライブとは別次元」で素晴らしい「音圧/存在感/空気感」を醸し出す「仮想リアル具合」に「驚愕」したのだけど、改めて聴いてみてもその感覚は全然古びれていない。というか、このアルバムの後に、Pixiesの1stとかを鳴らしたのだけど、薄っぺらくて迫力レスなサウンドに正直愕然とした(他のディスクでも同様だと思う)。いや、本当にこの音盤の後に聴く音楽は、目指せピアニシッモな感性の「朝生愛」あたりの音盤じゃないとヤバイなぁと思ったのでした。こういうのが本来的な「パンク」であり「ポスト・パンク・ポップ」なんだろうなぁ、と独りで勝手に呟くのでありました。