日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

新譜聴き倒れ伍拾:第12回 Florian Hecker の巻

Acid in the Style of David Tudor

Acid in the Style of David Tudor

このCDの感想はズバリ「CDで聴いても面白くない」に尽きる。この作品、基本的に音響実験作品なのだが、微細な変化を体感的に感じ取れる環境で聴かないと、多分面白くないみたい。CDという複製媒体で作品をリリースすることで、時空間の制約を超えてリスナーを獲得する機会は確かに広がるのだろうけど、結果がこれではむしろマイナスのような気がする。音楽配信もそうだけど、こういう作品は複製メディアでの配布ではなく、実演的に音響環境込みでリリース(体験的展示)した方がよいのではないだろうか。そういう意味では、かなり前に現代美術館で体験した 池田亮司 の +/− [ the infinite between 0 and 1] にあった、超指向性巨大スピーカー5発によるサイン波放出作品は、さすが先駆者だなぁ、という印象で手放しに感激した。

もう展示が終わっているので、ネタばれすると、特定の同一周波数のサイン波が鳴っている5発の巨大スピーカー(厳密には 1発のみ高周波とのこと)は、特定の場所にピンポイントに音を届ける目的で開発された超指向性スピーカー*1で、この5発のスピーカーに囲まれた鑑賞者の立ち位置や角度、或いは周囲にいる人間の移動/停止等のアクションによって個々のサイン波が干渉し合い「音が変わる」という体感的な音響作品なのでありました。この、鑑賞者の手に作品の完成が委ねられているという、開かれたスタンスが本当に素晴らしいなぁ、と感じたし、また今までCD(複製メディア)で「聴かされていた」ことが如何に限定的で、閉ざされていたのかを痛感する体験となりました(よくアート作品にある、何某かのトリガーにより、ランダムに音が鳴るという常套手段とは明らかに次元が違う)。ということで、なんだか音響実験作品をCDで買うのが、本当にバカバカしく思えてきてならない昨今なのでした(ラップトップ前提のデジタル・プロセッシングされた音響作品は本当に顕著に音が薄い> INA/GRM 界隈のコンクレート作品の音の豊かさはCDでも十二分に伝わってくるのと対照的というか・・・)

*1:岡田ジャパンも欲しがっていたらしい