日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

ゆらゆら帝国「空洞です」は退屈でも虚無でもない

空洞です

空洞です

昨日、発売日フライングで購入したこのアルバムですが、フライングしてまで購入したのは、発売前の石原さんのインタビューを読んで「物凄く期待」していたから、なのです。が、聴いてみたらやはり「最高」でした。予想では「スーサイドぽい音」とかを想像していたのですが、完全に予想を超えた、新しい次元の音楽でした。だって、基本的には、同じパッセージが延々反復され、「強烈に記憶に残る」とか「思わず口ずさむ」とか、わかりやすい刺激は提供されない、あたかもミニマルミュージックのような曲構成なのですが、何故か意識が醒めたまま「引き込まれる」というか、ミニマルミュージックのような忘我/恍惚のエクスタシーとは異種というか、決してBGMにはならないというか、ある一定の集中力というか、意識の状態が定位され続けるけど、それは緊張感でも弛緩でもない、例えるならば「スーパーサイヤ人の状態を平常心で保ち続ける孫悟空の心境を音にした」というような不思議な音だったのです。

いや、本当に「まるで○○みたいな」という慣用句/常套句が通用しないというか、今まで物凄い種類(汎ジャンル)の物凄い量の音楽を摂取してきた私ですが*1、こんな音楽は初めて聴きました余、本当に。

フリーフォークとか糞みたいな煽りに煽動されて、サイモン・フィンを聞いてる輩とかには永遠にわからないというか、いや、そんな輩は頼むから今後一切音楽は聴かなくていいから死んでくれというか、いやマジでバーカ&バーカ+死ね&死ねというか、著しい脱線を省みずに暴言するならば、ファッションパンクもマジパンクも視野が狭すぎ死んじまえというか、なんで自分で自分に安息の拘束具という名の枠を設けて、安易な方向に流れて感じる心を閉ざすのかねというか、二元論ニヒリズムという名のトンチンカンチンな諦念観念をダンディズムと履き違えるのかというか、いや今マジで酔っ払っている最中なので、脱線具合も実際甚だしいのですが、要するに局所的なコダワリなんて糞なんすよ。

視点なんて、マクロとミクロをいったりきたりした上での瞬間風速であるという認識がなきゃ、ただの天然さんの暴言でしかなくて、そんなものは犬だってノーサンキューな訳ですよ。サイケマニアとか、ノイズマニアとか、J−ロックなカッコマンどもとか、そんな視野の狭い輩は正直ミクロのミクロのミクロマンな訳で、そんな奴がなんかホザイタとしても、糞の糞による糞のための糞な政治な訳で、そんな奴がこのアルバムについて何か言葉を持ち得るとしたら、それは「やれ空虚」だとか「やれ虚無」だとか、太宰も赤面して一升瓶で殴打するような陳腐な言葉のシュプレヒコールな訳なのですよ。

いや、マジで何を書こうと思ったか既に酔っ払って忘れちゃったけど、タイトルに「インスパイア」されて、空虚とか、虚無とかで表現/形容され続けるであろうこのアルバムが、著しく不憫でならなくて、いてもたってもいられなくてこんな戯言を延々と書き綴ってしまいました余、はははっははっはは・・・・

*1:汎ジャンルの節操のなさは半端ではないと思いますよ、本当に