日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

新譜100枚聴き倒れ〜第75回 Patrick & Eugene の巻

Everything & Everyone

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んじゃ、録音物(複製芸術)としての音楽には希望がないのか、と言えば、音楽オタクとしての観点では「そうでも無い」といえる。というか、もともと大衆娯楽の文脈で音楽と接したり、語る気はハナから毛頭ない人間なんで、大衆音楽がどうなろうと、どうでもいいんですけど根、ホントに。いや、マニアの世界というか(それこそ、レア盤収集家みたいな)、趣味人としての音楽愛好家は相変わらず限定的な存在でマイペースに存在しているし、結局のところマニア向けの中古レコ屋は、2008年時点で35歳位の世代までが生存している限りは、骨董屋と同じように残ってゆくのではないか、と思えるのだから。

例えば、ボクの80年代の音楽体験と切り離し不可能な「モダ〜ン・ミュージック」は相変わらず明大前に存在していて、相変わらず、棚に収まりきらなくて崩れそうな塩梅で玉石混淆の状態でレコ、カセット、CD等を売っていて、本来的な音楽マニアが訪れているのだから(注:モダ〜ン・ミュージックは骨董的な要素もあるが、音楽を探求するという観点で、新譜も骨董も横並びで品揃えしているところが希少なので念のため)。

しかし、骨董的な価値がコア・コンピタンスではない新譜レコ/CD屋は、利益率も高くないだろうし、骨董音楽のように「評価が定まった/認知されたモノでもない」ので、果敢に未踏領域に踏み込み「散財」するチャレンジングな音楽ファンがいなければカタログは「不良在庫」になるリスクも高いだろうし、本当に難しいのだろうなぁ、とは思う(その結果が、今年の閉店ラッシュとして顕在化したのかもしれない)。