日々常套句

2003年からホソボソと「退屈に関する思索」を亀の歩みで行う退屈研究ブログ(自称)です

フジロック、今年で最後にしようかな


詳細は下記の専用ブログで書きましたが『 gang of four は、すごい、本当にみれてよかった。リハで Ether のイントロのベースが、ガガガッガーン、ガガガ、ドーンって鳴った瞬間に、もう痺れ痺れ痺れまくりました』って具合にフジロック終了しました。ちなみに、今年のフジロック恒例のタワレコの資源回収運動のゴミ袋は、万博テーマそのまんまの「エコ」でした。

http://blog.livedoor.jp/test_tone_40hz/

なお、演奏部門のMVPは文句無しで ROVO に捧げます。また、私の主食のトウモロコシ部門のMVPは、フィールドオブヘブンの「茹トウモロコシ」に捧げます*1。なお、特別賞である「ノーベルやんちゃDE賞」には 『ステージ上でヘッドスライディングしたり、特設の電子レンジを金属バットで破壊したり、ヒロミ郷のようなダンスをするVo.とか、淡々とギター破壊したりするG.とか、歩き回りすぎてシールド抜けたB.とか、パンクらしからぬデブ具合を惜しげもなく晒すDr.とか』 もう確信犯じゃないかとすら思わせる暴走っぷりな gang of four に捧げます。


ところで、昨年が良すぎたのか*2今年は、終わってみると全般的に、なんかイマイチ感が否めません。さらに、当方が年老いたことに起因する感じ方なのかもしれませんが、自分とその仲間以外の人間は全て「モノ」みたいな振る舞いをする「感じ悪い人」が多くなったように感じました。しかも、地面にはゴミが転がりまくりで「アホか死ね、肥料にすらならぬお前らはウンコ以下だ」とココロの中で毒を吐き続けてました。まぁ、不順な天候が人々から余裕を奪ったのかもしれませんが、にしてもやはり「死ね死ね♪死ね死ね死ね死ね死んじまえ♪」・・・


で、斯様なヤレヤレ感と内側で戦いながら、ヘロヘロと酒を呑み、主食のトウモロコシを喰い、晴れていた時間帯には下記の書物を読んでいたのですが、京都学派=西田幾多郎の後継者である西谷啓治の哲学は「退屈論」的に邂逅でした。もう正直、今回のフジロック最大の収穫は西谷哲学との出会いかもしれません。私が「退屈論」で孤独に黙考していた問題意識は、1964年の時点*3で西谷哲学によって既に明確に射貫かれていたのです*4



古代ギリシアと原始仏教や禅に顕著な本来的な「空無」に「退屈/閑」により対峙する構えが、キリスト教儒教的な「勤勉」により隠蔽され、そしてニーチェニヒリズムが結果的に後押しした「人間の理性には限界がない」かのような楽観的な科学万能/高度産業社会に至り、今度は「退屈/閑」がレジャー産業として無間地獄のように取り込まれ、本来的な「空無」が隠蔽されて行く歴史の流れを「文明論」的に俯瞰しつつ、哲学の根本的な問いである「存在論」と「空無」を深い内省のもとに省察する。

ということで、40歳までのテーマは、ハイデガーの退屈論をベースに、西谷哲学とヴィリリオの視点を加えつつ、メディア化(体験の間接化と広域化)する現在の人間存在における「退屈」の問題を淡々と粘り強く思索し続けることとしよう、かと。ってこのエントリー、フジロックがもはや完全に関係なくなってますが、まぁいいか・・・
 

*1:なお、残念賞は「焼トウモロコシ@オアシス」でした、ってか2箇所しかトウモロコシ売ってなかったヨ>悲嘆

*2:参照 http://d.hatena.ne.jp/cliche/20040803#p1

*3:随想「宗教と非宗教の間」

*4:と書くとなんか偉そうですが、要は「感激」しているということです