ボトルシップ2.0〜ガンダム世代の大人の趣味
こないだ毎度の面子で飲みながら阿呆話をしていた時のこと、何が契機か忘れたが突如面子の一人が、ガンプラでボトルシップが「これからはくる」とノタマイ出した。当初は「あぁ」とか「ふーん」とか適当に相槌していたのだが、やたらと熱くボトルシップとガンプラの関係を語り、挙句はバンダイに企画書を持ち込むのだとかノタマイ出すに至り、適当なお追従では対処不能となり、仕方なく「わかったわかった、ブログでネタをまとめてみるから」と言葉のトランキライザーを打ち込み事なきを得たのであった。
ということで「仕方がない、書かねばならない」と編集画面を開きキーボードを職場で叩き始めたのであるが、まずボトルシップについて調べてみなければと、ぐりぐりグーグルしてみたところ「日本ボトルシップ協会」なる高貴なサロンを発見しつつ、それはスルーしてWikipediaで調べてみたところ「ボトルシップ (ship in a bottle) は、帆船などの模型が、それよりも小さな口を持つ瓶(ボトル)の中に入っている工芸作品」と書いてあった。要は帆船などの模型を通常の3倍作りにくい制約下にて、即ち「瓶の小さな口からパーツを入れて瓶の中で組み立てる」ため、「パーツが非常に小さく細分化され」組み立てが困難であり、さらにパーツ数も膨大なのである。そう、つまり熟練された大人の「技術力」と大人の「財力」がものをいう高貴なホビー世界なのであり、パーツ数が少なく/パーツサイズが極大な「アオシマ合体プラモ」や「ロボダッチ」等を鼻水垂らして組み立てる小僧のホビー世界とは根本的に異なる世界なのである。
ところで、昨今のガンプラ世界に目をやると、プラモとしては高価な価格の根拠として「可動範囲の拡張」等のように、より金型技術や関節部分の構造高度化をその根拠としているようであるが、これはやはり日本の住宅事情故、悪名高き「デンドロビウム」が象徴的なように巨大スケール化して高価格化することが困難な事情に起因しているのではないかと推察される。
しかして、ここでボトルシップの論理「スケールは控え目>極限までパーツを細分/極小化」なのである。日本の住宅事情を考慮した省スペース設計ながら、組み立て及び金型制作に高度な技術を要求する大人ワールド。30歳オーバーのガンプラがコモディティ化したジェネレーションを直撃間違いなしである。さぁ、バンダイさん、まずは「ボトルシップ版グワダン」を販売して、この世のマゾ系男子に「ハマーン様に栄光あれ〜」と日夜マゾヒステックな工作活動に勤しませるのは如何でしょうか。
ということで、所要時間10分で垂れ流し駄文エクリチュールでジュワイヨクチュールに宿題完了ですのだ。